大学祭の歴史

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目次
歴代大学祭テーマ
夏に行われていた祭りのテーマ
学部祭について
これまでに来た『ゲスト』
来場者数と天気
他の祭り・他大学の学祭との比較(来場者数) 

広島文理科大学最後の年となる1952年に第1回大学祭が開催される。当初は、1週間ほどの期間で講義終了後に行っていたが、1976年ごろに、文サ連、実委、音協の3団体が交渉を行い(3項目要求)規模が拡大し、現在の短期集中型に移行。それ以降は長く3日間(もしくは前夜祭+2日間)開催を行っていたが、2009年からは2日間のみの開催となる。
 開催時間については、長く大学の入構制限のため21時30分には終了していたが、前述の3項目要求などにより、1980年10月に22時30分まで行うことができるとする緩和措置がとられる。その後、1983年の大学祭では大学側の大学祭時間制限に反発して「オールナイト宣言」を発表。その後は時間が短縮され、1995年までは21時まで、1996年からは20時までとなっている。

 年度初めに行われる新歓大学祭として、1960年に教養学部祭が開始される。1974年には総合科学部が創設され、教養学部祭開催のための団体が組織されなかったため、大学祭実行委員会がこの「肩代わり」に乗り出し、同年から六月祭が開催される。総合科学部西条移転直後の1993年に夏季の祭が行われたどうかは不明。1994年はアジア競技大会の影響で夏季に大学祭が行われる。翌1995年、大学祭の宣伝イベントとして「七夕まつり」がはじまり、1996年には「ゆかたまつり」に改称?現在まで続く。
 1988年には生物生産学部の学生が中心となって「第1回広島大学西条祭」を開催する。1993年からは西条キャンパスでの大学祭が始まる。東千田キャンパスでは千田祭や森戸祭が行われる。
 学校教育学部(東雲)が1960年頃より学部祭「東雲祭」を実施。西条移転に伴い「学校教育学部祭(学教祭)」に名称変更か。その後教育学部の組織再編に伴い「E-Storm」へ発展か。

 東千田時代の大学祭では、学部による展示、サークルによる展示が盛んであった。また、サークルの連合組織も、連合組織を挙げて大学祭へ参加していた。その後、連合組織を挙げての参加はなくなっていく。
 1978年の六月祭では、総合科学部前の森戸道路に設置するステージをめぐっての、「六月祭ステージ問題」がおこる。1993年には、学生委員会が「大学祭の幼児化・レジャー化にメスを入れる」として教職員主体行事の取り入れを行い、「全構成員の祭」をアピールしたこともある。

【お願い】大学祭に関する資料・情報をさがしています。実委によると、「学生運動臭のする古い資料は2010年に全て廃棄した」とのことなので、大学内にはもう残ってないと考えられます。どんな情報でもかまいませんので、何かありましたらTwitterからお知らせください。
特に、下記の学祭パンフレットを重点的に探しています。お持ちの方は文書研究会までご連絡ください(Twitterからどうぞ)。
1952年(S27年 第1回)から、1963年(S38年 第12回)まで
1971年(S46年 第20回)
1973年(S48年 第22回)
1974年(S49年 第23回)
1976年(S51年 第25回)
1984年(S59年 第33回)
1985年(S60年 第34回)
1995年(H7年 第44回)
1996年(H8年 第45回)
1997年(H9年 第46回)
1998年(H10年 第47回)
1999年(H11年 第48回)
2000年(H12年 第49回)
2002年(H14年 第51回)
2003年(H15年 第52回)
2004年(H16年 第53回)
2005年(H17年 第54回)
2007年(H19年 第56回)

歴代大学祭テーマ

1952年 1回 なし?
1953年 2回 「豊かな青春と生活のために」「平和と友好のために」 (※1)
1954年 3回 「豊かな青春と生活のために」「幸せをみんなのものに」「独立をわれらの国に」 (※1)
1955年 4回 第25回広島大学大学祭準備委員会発行の「大学祭紹介」によると、
第1回~第10回について以下の記載がある。
”一応のタテマエとして「若人の祭典、平和と民主主義、よき学園生活のため」がスローガンとしてある”
”統一テーマも全く考えられていない”

また、第11回において統一テーマが”初めて設定”とある。

1956年 5回
1957年 6回
1958年 7回
1959年 8回
1960年 9回
1961年 10回
1962年 11回 大学の理想と現実
1963年 12回 現代における我々の課題
1964年 13回 戦後の曲がり角………現代
1965年 14回 現代という時代 ―闇の中の戦後史にヒロシマからの烈火を撃て―
1966年 15回 原点をさがせ、この幻影の中で 思想の死を克服し、行動の思想を創造せよ
1967年 16回 問え!癒着への反逆を
1968年 17回 武器をとれ! -権力者の日常からわれらの砦へ-
1969年 18回 なし (※2)
1970年 19回 標的に向かう狙撃者は誰れ!
1971年 20回 血みどろの中でうたえ童唄を!
1972年 21回 「あっしにはかかわりのねぇことでござんす」 -統合移転をめぐって-
1973年 22回 どうしてもやるの…?
1974年 23回 飢えの認識 飢えなき日常への埋没から自核創造へ
1975年 24回 なし (※3)
1976年 25回 この醜き社会への埋没から飛翔せよ
1977年 26回 キャンパスを埋めつくすものは…
1978年 27回 操り人形になりさがるまい
1979年 28回 俺たちは不知鳥(フェニックス)じゃない 無知であっても悪かぁないが学生稼業にゃ似合わない
1980年 29回 時空間の座標軸を奪いかえせ
1981年 30回 沈黙を打ち破れるか すでにしかれているかも知れぬ戒厳令の下で
1982年 31回 うそつきは「侵略進出」の始まり。今度はあんたの当番じゃん。検定済-守るべきものは何。闘う相手は誰-
1983年 32回 こちらニワトリ放送局 ただいま滑走中! キャンパスブロイラー諸君、応答願う!
1984年 33回 今歩イテイルトコロハ スデニ敷カレテイル道カモシレナイ 僕達ハ 今コソ 自ラ開拓者トナル時デハナイカ
1985年 34回 自由なる主格――I―― 1人1人が主人(あるじ)です 東千田町1丁目1-89
1986年 35回 ……
1987年 36回 逆さに振っても非生産性の回帰 ななめに振ったら出るかもしれない ―こうなった俺は
1988年 37回 考えてくだ祭 あなたが価値を見い出すために
1989年 38回 束縛・分断・統制 -見えない網に捕らわれた従順な不死鳥たち カゴの鳥になる前に-
1990年 39回 色祭人 -モノクロのキャンパスに描け、色とりどりの個性-
1991年 40回 自分だけのものを見せてやれ!-千田でやるのもあと2年-
1992年 41回 「見ます」「聞きます」「言います」
1993年 42回 でっかい転機、ここらで奮起
1994年 43回 存在の証明 -さる山の理想と現実-
1995年 44回 みの虫の外出~左足小指第1関節の叫び~
1996年 45回 鼓動~ドキドキ
1997年 46回 五線紙~無から夢へ~
1998年 47回 Pleasure~Let′s find your treasure~
1999年 48回 気分はバームクーヘン
2000年 49回 空き缶のナカミ
2001年 50回 晴れのち祭
2002年 51回 煌~きらめき~
2003年 52回 日替わり弁当~三祭盛り~
2004年 53回 ぐん グン GUN
2005年 54回 トキメキ熱視線~petit a small world~
2006年 55回 祭三昧
2007年 56回 史上”祭”大の作戦
2008年 57回 色祭ルネッサンス
2009年 58回 MATSURIの中には愛がある~ 60年分の愛を込めて~
2010年 59回 Ex祭te!HIRODAI
2011年 60回 笑顔満祭
2012年 61回 祭(さい)は投げられた!!
2013年 62回 楽しんだっていいじゃない、祭だもの。
2014年 63回 TRICK or FESTIVAL!!!
2015年 64回 みんな来てみん祭!!
2016年 65回 思い出列車、祭秋便。
2017年 66回 ~魔法が思い出になる前に~
2018年 67回 彩高な祭典 ~「彩(いろどり)」のある「最高」な祭り~
2019年 68回 ~祭り、それは鮮麗な果実~
2020年 69回 中止
2021年 70回 Load ~みんなの思いをのせて~
2022年 71回 百花繚乱
2023年 72回 BE REBORN

※1
これらは「スローガン」であり、「テーマ」ではない(「大学祭紹介」第25回広島大学大学祭準備委員会)。

※2
大学紛争による混乱、「統一テーマのもとに全学が集結できる様な状態ではない」ために統一テーマは無し。
この年の大学祭は「広大創造祭」という名称だった。

※3
大学祭実行委員会のクラス会制度実施を契機に、これまでくすぶっていた実委への不満が爆発。
テーマの決定やパンフレットの発行ができない事態に。
最終的にパンフレットは文サ連が発行し、表紙には「-虚空へ飛翔せよ-」と書かれている

夏に行われていた祭(教養部祭、六月祭、七夕まつり、ゆかたまつり)のテーマ

西暦    
1960年 教養部 1 不明
1961年 教養部 2 現代社会に生きる我々は現実の問題をいかに対処してゆくべきか
1967年 教養部 8回 人間ども集まれ
1968年 教養部 9回 ガレキを掘りおこせ
1972年 教養部 13回 武装群像、怒りの炎で焼き尽くせ
1973年 教養部 14回 不明
1974年 6月祭 1回 なし?
1975年 6月祭 2回 無垢、MUKU、向く
1976年 5月祭 3回 なし?
1980年 6月祭 7回 蜃気楼=筑波化を打ち落とせ!
1986年 6月祭 13回 なし?
1989年 6月祭 16回 なし?
1992年 6月祭 19回 なし?
1993年 ????? ???? この年に行われたかどうか、確認中
1994年 大学祭 43回 ※アジア競技大会の影響で、7月8日~10日に大学祭が行われる。
1995年 七夕 1回 めくるめく酒池肉林の宴 (未確定・確認中)
1996年 ゆかた 1 なし?
2004年 ゆかた 9回 なし?
2005年 ゆかた 10回 爽健蒼水
2006年 ゆかた 11回 人類皆浴衣計画!!
2007年 ゆかた 12回 浴衣魂(ゆかたま)
2008年 ゆかた 13回 俺にはもう浴衣しか見えねぇ
2009年 ゆかた 14回 浴衣前線到来!!
2010年 ゆかた 15回 広大直撃!!ゆかたいふーん
2011年 ゆかた 16回 浴衣姿に魅せられて
2012年 ゆかた 17回 帯と絆を結びましょ。
2013年 ゆかた 18回 袖振り合うも祭の縁

※回数が太字で表示されているものは、逆算して算出したものであり、正しいかどうかは不明。

1999年から数年間、法・経済学部近くの北駐車場を会場に行われていた。

学部祭について

政経学部祭

1954年 1回? 不明
1968年 15回 不明
1972年 17回 不明(再建1回目)
1973年 18回 セイケイスル?
1974年 19回 昭和50年 時間ですよ!!
1976年 21回 ゆれる政経 -もう、これっきりですけえ-

 1954年ごろに第1回が行われたか。1970年ごろに大学紛争により一時中止。1972年に再建第1回が行われる。政経学部最後の年となる1976年をもって終了か。ソフトボール大会や麻雀大会、カクテルパーティーなどが行われる。

※1974年は昭和50年ではないが、テーマは「昭和50年 時間ですよ!!」である

工学部祭

1969年 1回? 不明
1979年 11回 なし?

1979年に第11回が行われる。麻雀大会や「びっくり広大新記録」などの企画が行われる。

東部大学祭

1958年 1回 不明
1972年 15回 全員集合!思う存分やってみよう
1973年 16回 祭じゃけえ
1974年 17回 でんでん虫?ん、でんでん無視
1975年 18回 立ち直るチャンスじゃ!
1976年 19回 不明
1977年 20回 不明
1987年 30回 不明

水畜産学部、教育学部福山分校が行っていた大学祭。水畜産学部の「開学記念行事」が、1958年より教育学部福山分校学友会との共催で「東部大学祭」となる。[学部50年史]

水畜産学部祭

 水畜産学部が福山にて行っていた大学祭。1978年に第22回が行われる。1980年の第24回で終了し、翌年から生物生産学部祭が行われる。[学部50年史]

生物生産学部祭

1981年 1回? 不明
1983年 3回 今、生物生産がちょっと面白い! -今見直そう 僕らのキャンパス-

 生物生産学部が福山にて行っていた大学祭。学部の西条移転まで続き、西条移転後は生物生産学部の学生が中心となって西条祭を行う。[学部50年史]

文学部祭

1975年 1回 我々の意識の底に眠る主体性を取り戻し我らの文学部、我らのクラスを創り上げよう
1976年 2回 語りあおう、みんな!
1977年 3回 受動から能動へ

 古本市や餅つき大会などが行われる。

西条祭

1988年 1回 なし?
1989年 2回 不明
1990年 3回 不明
1992年 5回 不明

 工学部・生物生産学部がはじめた大学祭。生物生産学部が東広島キャンパスに移転した年に始まる。第2回から教育学部が、第4回から理学部が参加。第5回目で終わり、1993年から大学祭に引き継がれる。[学部50年史]

東雲祭

1960年 1回? 不明
1965年 6回 不明
1967年 8回 不明
1977年 ?? ??
1978年 ?? ??

 学校教育学部が東雲分校で行っていた大学祭。

千田祭

1993年 1回 不明
1994年 2回 広島・最後・若者
1995年 3回 不明
2011年 復活1回? 不明

総合移転後に東千田キャンパスで行われていた大学祭。千田商店街振興組合共催。2011年に復活か(詳細不明)。

森戸祭

1995年 1回 HELLO! LET’S PARADE
1996年 2回 不明
1998年 4回 不明

東千田キャンパスで行われていた大学祭。II部サークル連合森戸祭実行本部が主催か。

霞祭

1957年   ※医学部展
1961年   ※広島大学医学部学生祭
1962年   ※医学部展
1965年   ※医学部祭?
1966年   ※医学部祭
1967年 1回 遺伝と医学
1968年 2回? 医を考える-創造への基盤の確立-
1997年 30回 パンドラの箱-未知のものへの挑戦-
2003年 36回 Sophisticated(洗練)
2004年 37回 comfortable ~laugh & peace~
2005年 38回 hospitality
2006年 39回 DISCOVERY
2007年 40回
2008年 41回 eco friendship
2009年 42回 smile
2010年 43回
2011年 44回 Moving
2012年 45回 共鳴
2013年 46回 LOVE & PIECE

 医、歯、薬学部が霞キャンパスで行っている大学祭。医学部移転直後の1957年に、第6回大学祭の一環として「医学部展」開催。翌年は開催せず。1961年に「広島大学医学部学生祭」を行い好評を博す。1962年には大学祭で「医学部展」を行う。1966年には医学部祭を行い、翌年から「霞祭」。[広島大学医学部50年史 通史編]

学校教育学部祭

1998年   不明
1999年 5回 不明

1998年には大学祭と別日程で開催。(回数は文書館業務日誌より)

教育学部祭(E-Storm)

2005年 6回 Heart Heat
2006年 7回 不明
2007年 8回 Storm×Storm -無限への挑戦-
2008年 9回 Enjoyest☆E-st ~最上級の笑顔を君に~
2009年 10回 夢限大
2010年 11回 I can do it ~愛、感動、一途~
2011年 12回 皆 to 未来(ミナトミライ) ~繋がりを希望に変えて~
2012年 13回 叶来(トライ) ~make nice days~(負けないで)
2013年 14回  

 教育学部が2000年から行っている大学祭。もとはEducation Stormという名称だったが、2000年代後半ごろから正式に「E-Storm」の名称に。

大学祭のおおまかな開催年代

これまでに来た『ゲスト』

  ゆかたまつり・六月祭 大学祭 実委企画以外の特筆すべきゲスト
2013年 正光女子・さくマイ ラバーガール、鬼ヶ島  
2012年 MIQ 狩野英孝、青春ダーツ  
2011年 光と風Hi-Fu 遊吟
nobodyknows+
 
2010年   サンドウィッチマン
バリデライト
 
2009年 万貴音 Free Face
アンガールズ
 
2008年 万貴音 EL COMBO DE LA PAZ
バリデライト
達川光男(教育学部祭)
2007年      
2006年   DD1
あかぼし☆こぼし、フリータイム
インスタントジョンソン
 
2005年     堀江貴文(広島大学学生ベンチャー連盟)
2004年   ケンドーコバヤシ  
2003年      
2002年   ますだおかだ  
2001年      
2000年      
1999年      
1998年      
1997年     鈴木彩子(体育会)?
1996年      
1995年      
1994年      
1993年      
1992年     三沢光晴(プロレス研究会)★
1991年     大仁田厚(プロレス研究会)
オウム真理教顧問弁護士・青山氏(信教の自由を守る会)
1990年   MOJO CLUB、DOVE 獣神サンダーライガー(プロレス研究会)
1989年      
1988年   浅野健一
小林一喜
宮原学
 
1987年 鎌倉孝夫    
1986年   平岡正明
宮里久美
 
1985年      
1984年      
1983年      
1982年   小池真理子
黒田泰吉、住岡正明、ほか
ばばこういち
椎名誠
上田正樹
 
1981年   未知座小劇場(演劇)★
白竜
土田悦治
なしか、日浦孝則&woodymind
 
1980年   未知座小劇場(演劇)★
加川良
井上正治(法学者)
 
1979年 西村勇(朝日新聞) 藤本義一(作家) 梶村秀樹(広島朝鮮史セミナー)
1978年   井上清(歴史家)★
花柳幻舟★
佐々木幸男
未知座小劇場(演劇)
 
1977年   井上清(歴史家)★
ゴダイゴ
友川かずき
浅田光輝(新聞会)
ハーブ・エリス・カルテット、ロレツ・アレクサンドリア(音協)
1976年      
1975年   井上光晴
諸口あきら
 
1974年 北川透
夏目成二
   
1973年      
1972年   佐藤允彦、田中保積、翠川敬基
三上寛
 

音楽お笑い/その他
空欄は不明、★は有料

※1978年に実委が「誰にコンサート・講演してほしいか」とアンケートを実施。コンサートは上位からアリス、さだまさし、イルカ、中島みゆき、世良公則とツイスト、NSP。講演は上位から広中平祐、タモリ、永六輔、福田赳夫、竹村健一、川上哲治であった。

※1993年実委 「アーティストを呼んできてコンサートをやる」とか、(略)などのいろいろな案は、さまざまな事情で実現には至りませんでした。”さまざまな事情”の中には大学祭実行委員会の「金さえかければできるといった安易な企画はやらない」といったこだわりもありました(後略)

来場者数と天気

  ゆかたまつり 大学祭 出典 備考
2013年          
2012年 ×   ○○ 30000人 実委ウェブサイト   
2011年 ×   ×△      
2010年 14000人 ○×   お知らせ  
2009年   ○○     この年から大学祭は2日間に
2008年 ×   ○○△ 28000人 実委ウェブサイト  
2007年 ×   ○○○     1日目は前夜祭
2006年 ×   ○○○      
2005年     ○○×     1日目は前夜祭
2004年     ○○○ 7000人 広大フォーラム  
2003年            
2002年   1000人     広大フォーラム  
2001年            
2000年   10000人   12000人 広大フォーラム
広大フォーラム
 
1999年   7000人     広大フォーラム  
1998年       15000人 広大フォーラム  
1997年       20000人 広大フォーラム 大学祭は3日間開催
1996年 ——   18000人 広大フォーラム  
1995年 ——        
1994年 ——        
1993年 ——   10000人 広大フォーラム 初の西条開催
1992年 ——        

天気…アメダス「東広島」の降水量・日照時間をもとに決定(○晴れ、△曇り、×雨)

他の祭り・他大学の学祭との比較(来場者数)

学祭名(大学名) 来場者数(約・延べ) 日数 出典
五月祭(東大) 120,000人 2日 第85回五月祭
早稲田祭(早稲田大) 160,000人 2日 早稲田祭2012
明大祭(明治大) 44,971人 3日 明大祭公式ブログ
成城大学大学祭(成城大) 30,000人 2日 成城大学大学祭実行委員会
常盤祭(横浜国立大) 20,000人 3日 横浜国立大学大学祭公式サイト
名大祭(名大) 50,000人 4日 名古屋大学
11月祭(京大) 110,000人 3日 メンター・ダイヤモンド
銀杏祭(大阪市立大) 50,000人 4日 大阪市立大学
六甲祭(神戸大) 40,000人 2日 六甲祭実行委員会 「協賛のご案内」
津島祭(岡山大) 30,000人 3日 Li☆Luck
広島大学大学祭(広島大) 30,000人 2日 広島大学大学祭実行委員会
九大祭(九大) 20,000人 2日 九州大学
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酒まつり(西条) 240,000人 2日 東広島市観光協会
ひろしまフラワーフェスティバル(市内) 1,802,000人 3日 ひろしまフラワーフェスティバル

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